「自閉症」ほど誤解されて一般に知れわたっている病名はないでしょう。確かに、語感からは「こころを閉ざし自分の殻に閉じこもる」という状態が連想され易く、人間関係の軋轢が原因のように思われることが多いのでしょう。しかし、実際の自閉症はそうではありません。
今から80年くらい前(1943年)にアメリカの医師(レオ,カナー博士)が、それまで知的障害や精神障害と診断されていたこどもたちの中で、幼児期早期から他者と情緒的交流が持てず、自分の興味あることに執着するという行動特徴を示す状態を早期幼児自閉症と呼んだのが始まりです。(最近は広汎性発達障害とか自閉スペクトラム症などと呼ばれることもありますが、ここでは一貫して自閉症と呼ぶことにします。)
自閉症の医学的原因は未だ不明ですが、当初は親のしつけの仕方などが原因ではないかと考えられた時がありました。つまり、自閉症は親の不適切な養育に対するこどもの情緒的な反応なのだと考えられたのです。その結果、自閉症のこどもをもつ親が不当に批難された時期があり、自閉症の治療もこどもの欲求を受容する指導が行われていた時があるのです。
しかし、最近になって医学的研究が進み、自閉症の大部分は先天的な脳の障害が原因ではないかと考えられるようになってきました。つまり、自閉症の大部分は性格的な歪み、情緒障害、精神障害などではなく、知的障害や脳性麻痺などと同じ精神機能の先天的な障害と考えられるのです。自閉症では人を求めて関係性を作る社会性の発達に弱さが認められ、言葉を含めたコミュニケーションに関する能力の全般的な発達が遅れてしまうのです。
また、自閉症のこどもたちはなかなか親のこころを通して私たちの世界を学ぶことができません。逆に、いつまでも自分の目(こころ)でしか外を見ることしかできないので、相手の気持ちを理解したり気を配ったり人に共感することができにくいのです。同時に、自分の関心事を人と共有することが難しいため、自分の好きなことに没頭し自分の欲求を押し通そうとしてしまうのです。
残念ながら自閉症の医学的治療はまだ確立されていません。しかし、自閉症の中心的な問題は情緒的コミュニケーションの発達障害として捉えることができます。コミュニケーションは相手との間に発達するものですから、自閉症をこどもの一方的な障害と捉える必要はありません。そのように考えれば、私たちがこころを開いて積極的にこどもたちに関わっていくことによって、自閉性が少しでも改善される可能性があるのです。